2023-01-01から1年間の記事一覧

二千六百年記念事業 その1-高千穂宮址

拙稿「鹿児島神宮ー海幸・山幸物語」で少しふれたが、霧島市隼人町の宮の杜ふれあい公園に「神代聖蹟高千穂宮址」碑が建てられている。 碑文を要約すると ①高千穂宮は、久しい間彦火火出見尊の皇居であった。また神武天皇が兄の五瀬命と東遷について話し合っ…

茶わん虫の歌ー鹿児島弁

オムニバスが盛んな頃、鹿児島のバスガイドが車中披露する歌は「南国情話」と「茶わん虫の歌」が定番だった。 「南国情話は、若山彰と熊沢佳子のジュエット曲で、こまどり姉妹も歌った。「岬の風に泣いて散る」という出だしで、ヒットしていた。これに対して…

防災フェスタ

11月26日に霧島市隼人町宮内地区自治会連絡協議会及び宮内まちづくり委員会が主催する防災フェスタが、宮内小学校及び宮内公民館で開催された。 宮内地区全体で、このような防災の催しが実施されるのは初めてのことだった。 今から30年前の平成5年(1993年)…

鹿児島神宮 二の鳥居

鹿児島神宮には二つの鳥居がある。 参道入口のコンクリート造の朱塗りの大きな鳥居が一の鳥居で、参道入口の石造の鳥居が二の鳥居である。 二の鳥居には、明治40年(1907年)8月吉日建設と刻まれている。 江戸時代後期の薩摩藩の地誌、三国名勝図会写図に鹿…

センニンソウの実

長い夏が終わり、農作業も随分気持ちよく出来るようになってきた。 ススキも伸びきったので「これが今年最後だろう」と思いながら土手の草を払っていると、不思議な、花みたいなのが目に入った。Google Lensで調べてみると、センニンソウの実だった。 夏にこ…

孤高の歌人 浜田到トークセッション

約50年前、前衛短歌の旗手として、塚本邦夫、寺山修司らとともに前衛短歌の旗手として高い評価を受けていた、浜田到についてのトークセッションが次のとおり開催されます。 1 日時 11月4日(土)14時から 2 場所 霧島市隼人町見次1371(ホテル京セラ隣…

関白陣

雨の日は、農作業を休んで温泉に行くことが良くある。 何時もは、地元霧島市の日当山や安楽の温泉に行くのだが、この前は少し足を延ばして、伊佐市の針持温泉に行ってみた。透明ですべすべした湯で「つるつる美肌美人の湯」を標榜しているのも納得だった。 …

椎茸の芽吹き

私の畑は、中山間農地だから山に囲まれている。その内、後の雑木山の約3,000㎡が私の山だ。ここで少し椎茸を栽培している。 椎茸は、気温15度くらいになると芽吹いてくる。日中はまだ暑いが、ここ数日、朝晩はひんやりしてきた。昨年は、10月19日に数個取っ…

竹下勇と久木村治休

東京原宿の竹下通りの名称は、大正末期の連合艦隊司令長官・海軍大将の竹下勇の邸宅があったことに由来するとも言われている。 鹿児島神宮境内入口のすぐ左側一角に「征清役従軍紀念碑」「三十七八戦役従軍碑」「三十七八戦役忠魂碑」が並んでいる。征清役は…

雑草の花

夏の間に蔓延った雑草に小さな花が咲きだした。 雑草は、これまでは何も考えずに刈り取っていた。 しかし、NHKの朝ドラの影響だろう。小さな花が可憐に見えてくる。雑草の名前にも関心が出てきた。 こんな時に役立つのはグーグルレンズだ。とても有難い。 中…

安産祈願のお宮 石體神社

「石體の神のやしろに小石つむ この縁さえ愛しかりけれ」 霧島市隼人町の宮の杜ふれあい公園に、昭和15年発行の斎藤茂吉の歌文集「高千穂峰」に掲載されているこの歌の歌碑がある。 斎藤茂吉歌碑 石體(しゃくたい)の神のやしろとは、鹿児島神宮の摂社の石…

センニンソウ

草茫々の畑の土手を払っていると、藪の中に白い可憐な花が咲いているのが目に入った。刈払機を停めてGoogle Lensで調べてみた。「センニンソウ」のようだ。 センニンソウの花? センニンソウは国内どこにでも生えている雑草みたいだが、ここでこうして花を見…

里芋の花

私の畑は標高50m~60mのところにある。後は山、前は川、そのため、これまでは自宅付近より気温が2~3度低く、夏も作業しやすかった。 ところが、今年は自宅も畑も変わらない。 そのためか、夏場の作物として作りやすい里芋にも異常が出た。花が咲い…

鹿児島神宮拝殿コンサート

東北地方の大曲で盛大な花火大会があった昨夜、南の鹿児島神宮では、厳かに霧島フィルハーモニーカルテットによる拝殿コンサートが催された。 霧島フィルハーモニーカルテットの拝殿での演奏 鹿児島神宮は、こんもりとした木々に囲まれている。昨日も残暑が…

隼人の乱と熊襲征伐 その4ー七つの城

八満宇佐宮御託宣集によると、隼人の乱の時隼人は、奴久良、幸原、神野、牛屎、志加牟、曽於乃岩城、比売乃城の七つの城に立て籠ったとされている。 隼人が1年数ヶ月立て籠ったとされる比売乃城跡 一方、國分の古蹟などには、熊襲梟帥の種族の居城として隈(…

隼人の乱と熊襲征伐 その3-おびき出し

このブログの「隼人の乱と熊襲征伐 その1ー隼人塚の建立目的」で、「熊襲の頭目の川上梟帥が橋の上でおもしろおかしく拍子をとり、踊りを踊ったという話が伝わっており、拍子橋と言うようになった。この付近で川上梟帥が日本武尊に突き殺されたという伝説も…

小さな、小さな六月灯

霧島市隼人町内山田の宮内原用水の小田への分水路起点の土手に、梵字の掘られた高さ1mくらいの「野崎の水神」と呼ばれる石柱がある。 旧隼人町教育委員会発行の「隼人町の石造文化財」によると、一番上の梵字は水の神様である水天を表しており、その下の梵…

隼人の乱と熊襲征伐 その2ー四肢神社

霧島市国分野口に枝宮神社がある。 神社の由緒書きには「当社は、三国名勝図会、薩隅日地理纂考により大人彌五郎別名川上梟帥の四肢が葬られると伝えられる」と記されている。 ちなみに、天保14年(1843年)にまとめられた薩摩藩の地誌である三国名勝図会に…

隼人の乱と熊襲征伐 その1ー隼人塚の建立目的

日豊本線隼人駅の近くに五重塔3基と四天王像4体が建っている。国指定史跡の隼人塚である。指定日は、文化財保護法の前身である史蹟名勝天然紀年物保存法が施行されて間もなくの大正10年(1921年)3月3日で、鹿児島県では最も早い。 指定の理由は、「熊襲の怨…

オミナエシとベニシジミ

久しぶりに晴れた昨日、山あいの畑に草を払いに行った。 雑草が生い茂り、虫が付き放題の畑だが、妻は所々に花を植えて楽しんでいる。 軽トラの駐車場横にはオミナエシ、これが大きくなって倒れ掛かり、何時もは邪魔に思うのだが、昨日は違った。特別にきれ…

鹿児島神宮の御田植祭

鹿児島神宮の御田植祭は、旧暦の5月5日に近い日曜日催行される。今年は、6月25日だった。当日は、朝からの小雨で、絶好の田植え日和になった。 県指定有形民俗文化財の「宮内の田の神」の前で、田の神様が舞を奉納されるなどの神事が厳かに進んだ後、まず姶…

西行は気色の杜を訪れたか

気色の杜は、霧島市に4ケ所ある歌枕の地の1ケ所である。 ここに山家集に収められた西行法師の「音に聞くけしきの杜に来てみれば立ちそふものは哀れなりけり」という歌が紹介されている。 この歌だけを見ると西行が気色の杜を訪れたと思ってしまう。しかし…

浜下り千三百年祭

昨年の鹿児島神宮の浜下りは、隼人の乱からの千三百年記念祭として催行された。 記念祭のテーマは、隼人の乱に関係する大分県の宇佐神宮、鹿児島県曽於市大隅町の岩川八幡神社、宮崎県都城市山之口町の的野正八幡宮、宮崎県日南市飫肥の田ノ上八幡神社の祭り…

隼人の乱と浜下り

昨年10月22日の南日本新聞に、直木賞作家の澤田瞳子さんが、鹿児島市で開催された海音寺潮五郎文化講演会での講演で「隼人の乱を調べ、書き進めている」と明かしたという記事が出ていた。わくわくしながら出版を待っている。 ところで、鹿児島神宮浜下りは、…

鹿児島神宮ー御神幸地

鹿児島神宮から約5kmの鹿児島湾奥、隼人港の近くに鹿児島神宮の御神幸地がある。 現在は住宅地の中だが、嘗てはここらが海岸線だった。 海幸・山幸物語では、兄の海幸彦から借りた釣り針を失くしてしまった山幸彦が、綿積神の宮に行き、海神の助けで釣り…

短歌ー浜田到を語る会

昨日は、第7回「浜田到を語る会」だった。 短歌はずぶの素人ながら、この会には毎回参加している。 浜田到は、昭和の中期に塚本邦雄や寺山修司などとともに、前衛短歌の旗手として活躍した歌人である。 昭和43年(1968年)に49歳で亡くなってから5…

鹿児島神宮ー海幸・山幸物語

鹿児島神宮の御祭神は彦火火出見尊で、神話の海幸・山幸物語に由来する。 神話では、天照大御神→天忍穂耳尊→瓊瓊杵尊と続くが、この瓊瓊杵尊と木花佐久耶姫の間に生まれた三神のうち、上の兄が火闌降命で海幸彦、下の弟が火遠理命で山幸彦である。 鹿児島神…

鹿児島神宮ー宮内の古代以前

鹿児島神宮の西側参道方向への駐車場出口付近土手に宮坂貝塚と言う貝塚がある。 上野原縄文の森資料によると、縄文時代早期末(約7400年前)のもので、鹿児島県では最古級ということである。 貝塚の上層が、約7300年前に噴火したと言われる鬼界カルデラの火…

鹿児島神宮

私たちの住む宮内は、鹿児島神宮の門前町である。 鹿児島神宮の主祭神は彦火火出見尊で、お妃の豊玉比売命が同じ御帳台に祀られている。 主祭神が、天照大御神→天忍穂耳命→瓊瓊杵尊→彦火火出見尊→鵜鷗葺不合尊→神武天皇と繋がる皇室の祖先であり、明治7年(1…

霧島・宮内散歩

自分の住む町の歴史を学び、調べていくことは楽しい。 この宮内には、隼人塚や鹿児島神宮など国や県、市の指定文化財も多くある。 隼人塚 ただ、鹿児島は廃仏毀釈が激しかった。 そのため、石像のほとんどが頭や腕などをもがれるなど破損している。 これは、…