西行は気色の杜を訪れたか

気色の杜は、霧島市に4ケ所ある歌枕の地の1ケ所である。

ここに山家集に収められた西行法師の「音に聞くけしきの杜に来てみれば立ちそふものは哀れなりけり」という歌が紹介されている。

この歌だけを見ると西行が気色の杜を訪れたと思ってしまう。しかし、調べてみると西行が九州に来た記録は見当たらない。

さらに見ると、千載集に収められている待賢門院堀河の歌に「秋の来るけしきの森の下風に立ちそふ物はあはれなりけり」というのがある。

堀河は、西行の想い人であったとされる待賢門院璋子の侍女である。そうした縁があってか。西行は、待賢門院の侍女との歌のやり取りをしているが、気色の杜で紹介されている歌も堀河とのやり取りで歌われたもので、西行は気色の杜を訪れていないということになるようだ。

この歌一つから、西行北面の武士を辞めたこと、待賢門院璋子の奔放ともいえるような生き様などを知ることが出来た。

和歌と歴史には、深い繋がりを見ることができる。