南薩線

かつて、薩摩半島西側、日本三大砂丘吹上浜沿いを縦走していた鉄道があった。私鉄線の南薩鉄道(通称南薩線)である。

南薩線が開通したのは大正3年(1914年)のこと。鹿児島本線(当時は川内線)の鹿児島県内での開通は、鹿児島駅東市来間の大正2年(1913年)。これからしても、南薩線の開通がいかに早かったかが分かる。

それから70年間、地域の足として、物流の柱として重要な役割を担っていたが、今から40年前の昭和59年(1984年)に廃止された。

南さつま出身の私には、懐かしい想い出が多々あるこの鉄路の跡を巡ってみた。

上日置駅

南薩線の廃線跡で最も趣が残っているのは、上日置駅だろう。駅舎は壊され、鉄路も撤去され、ホーム跡と給水塔が残るだけだが、駅跡の雰囲気が漂う。

上日置駅跡

上日置駅の案内板

旧上日置駅と旧日置駅の間は急な坂だった。南薩線にディーゼルカーが導入される前、蒸気機関車の頃の話だが、雨が降ると車輪が空回りする。機関車には砂袋が積み込まれており、車掌が線路に砂を撒いて、やっとのことでその坂を登っていた。列車は、何時もほぼ満員。乗客たちは、機関車のシュッポ、シュッポ、シュッポが「ぜんな とっどん なさんこっじゃ(金は稼ぐけど難儀なことだ)」と嘆いているように聞こえると囃し立てたものだった。下りて小用を足す乗客もしばしばだった。

ここには、2018年8月25日に六角精児さんと下田逸郎さんが訪れたそうでサイン(コピー?)が掲示されている。翌8月26日に「六角精児と下田逸郎の坊津コンサート」が開催されており、その途中に旧上日置駅に立ち寄ったようである。

六角精児さんと下田逸郎さんのサイン、上の写真は別の人が撮った昔のもの

上日置駅跡を出てからカーラジオを付けたら、六角精児さんの声が流れてきたのは、

余りにも出来過ぎた偶然だった。(後で調べたら、毎週木曜日に六角精児さんがパーソナリティを務めているNHKの「ふんわり」という番組だった)

吉利駅跡・永吉駅跡

日置市帆之港から南さつま市まで、通称「吹上浜サイクリングロード」という自転車専用道路が通っている。全長は23.9kmで、このうち日置市の旧吉利駅付近から旧薩摩湖付近までは、南薩線跡が活用されており、旧吉利駅と旧永吉駅はサイクリングロードへの乗り入れ口として残っている。

 

吉利駅案内板

吉利駅跡ホーム、右側線路跡がサイクリングロード

永吉駅案内板

永吉駅跡ホーム、右側はサイクリングロード

永吉川鉄橋跡

吉利駅跡と永吉駅跡の間に、道の駅の「かめまる館」がある。この前を流れる永吉川に南薩線の鉄橋の跡が残っている。

永吉川の南薩線鉄橋の橋脚跡

永吉川の南薩線鉄橋の橋台跡

吹上浜

廃線跡とは直接関係はないが、昭和53年(1978年)8月12日に、市川修一さんと増元るみ子さんが、北朝鮮に拉致されたとされる場所が旧吹上浜駅近くだ。

当時、吹上浜のこの付近では「夜半、沖に赤い灯が見える。密航船だ。気を付けるように」と言われていた。どうもこれが、密航船ではなく工作船だったようだ。もっと早く事件の前に分かっていたら、そして取り締まりが出来ていたらと思う。

旧薩摩湖駅

南薩線の設立は南薩鉄道という会社で、当初の代表者は鮫島氏であったが、昭和27年(1952年)に岩崎氏に代わる。岩崎氏は観光に力を入れていた。そして、南薩線でのその代表が「さつま湖」であった。湖には遊覧船が浮かび、湖の中の島には橋が架けられバラ園があった。バラ祭りや大花火大会などのイベントが催され、薩摩湖駅は観光客で賑わっていた。

吹上浜駅跡・北多夫施駅跡

廃線跡の旧南吹上浜駅付近から旧阿多駅付近までは広域農道になっている。

鉄路の面影はほとんどないが、南吹上浜駅跡と北多夫施駅跡には案内板があり、往時をしのばせている。

吹上浜駅案内板

北多夫施駅案内板

鉄路跡の広域農道

広域農道からの金峰山

阿多駅跡

旧阿多駅は、知覧線の本線との分岐駅であった。

ここは現在、市営住宅になっており鉄路の面影はないが、鹿児島県の地域振興事業で「南薩鉄道(鹿児島交通線)の概要」と言う「案内板が設置されている。これを見ると、南薩線の歴史が概略分かる。阿多駅についての説明もある。

南薩線の歴史を記した案内板

阿多駅の説明

加世田駅跡

旧加世田駅は、南薩線の中止駅であった。また、わずか2.5km、薩摩大崎駅1駅だけまでという万世線の分岐駅でもあった。なお、万世線は現在はサイクリングロードとして活用されている。

加世田駅の乗降客の賑わい

万世線を走っていたガソリンカー

加世田駅跡は、現在バスセンターになっており、広場には南薩線を走った蒸気機関車ディーゼル機関車各1両が展示されている。また、バスセンター周囲には、鉄道で使用されていた機材類も展示されている。

なお、ここにも「南薩鉄道(鹿児島交通線)の概要」が設置されており、加世田駅についての説明もある。

広場に展示されている4号蒸気機関車

広場に展示されているDD1200型ディーゼル機関車

加世田駅の説明

南薩鉄道記念館

加世田駅跡のバスセンターに隣接して、石造の倉がある。ここが南薩鉄道記念館で、時代時代の機関車や駅の風景などの写真、機関車のプレートや通信機材、切符、南薩線の歴史年表などが展示されている。

石倉を活用した南薩鉄道記念館

鉄道記念館内の展示駅名標

南薩線の終止符

加世田駅跡及び阿多駅跡に設置されている「南薩線(鹿児島交通線)の概要に」バス路線が充実すると乗客が減少し・・1983年の加世田豪雨により線路が寸断・・1984年3月17日限りで、南薩鉄道70年の歴史に終止符が打たれることになった。当日は快晴に恵まれ、多くの沿線住民が繰り出して「南薩線」との別れを惜しんだとある。

お別れ列車は、4連のディーゼルカーだった。