鹿児島神宮の御田植祭

鹿児島神宮御田植祭は、旧暦の5月5日に近い日曜日催行される。今年は、6月25日だった。当日は、朝からの小雨で、絶好の田植え日和になった。

県指定有形民俗文化財の「宮内の田の神」の前で、田の神様が舞を奉納されるなどの神事が厳かに進んだ後、まず姶良市加治木町木田のトド組の田歌に促されながら、地元宮内小学校の児童などが御神田に早苗を手植え、その後、各地のトド組が田歌を歌いながら苗を植えていって、御田植祭が収められた。

民俗学者の下野敏見氏によると、トドとは田堵がなまったもので、トド組とは、神宮領を耕作する農民たちの集まりだそうだ。

薩摩藩では、士気を高めるために各地棒踊りが行われていたが、この棒踊りのお囃子の元になったのがトド組の田歌だそうで、ここからも鹿児島神宮のお田植祭が古い歴史を持つことが分かるのだが、それでは、何時から鹿児島神宮のお田植祭が始まったのかということになると不明である。

霧島神宮御田植祭は、瓊瓊杵尊が我が国で初めて水稲を作ったことに由来するとされるが、鹿児島神宮の御祭神の彦火火出見尊は580歳の長寿の間、農耕を指導されたと伝えられており、鹿児島神宮御田植祭も神話時代からということもありえそうだ。

なお、御新田のすぐ下には、五ノ坪、八ノ坪という条里制の地名が残っており、いずれにしても、古代から繋がる祭りであると思われる。

昔は、田歌の歌い手は、農家の15歳から25歳までの若者が主となっていたが、農業従事者の減少や高齢化の進展によって、今では農家以外を含む多層の年齢の人たちによって、この伝統芸能が守られている。

宮内の田の神