茶わん虫の歌ー鹿児島弁

オムニバスが盛んな頃、鹿児島のバスガイドが車中披露する歌は「南国情話」と「茶わん虫の歌」が定番だった。

「南国情話は、若山彰と熊沢佳子のジュエット曲で、こまどり姉妹も歌った。「岬の風に泣いて散る」という出だしで、ヒットしていた。これに対して「茶わん虫の歌」は、鹿児島だけの地域限定、しかし鹿児島では誰もが知っているというような歌だった。それが、10年位前にNHKEテレにほんごであそぼ」で放送され、全国的にも多くの人に知られるようになった。

「茶わん虫の歌」が生まれたのは、約100年前の大正10年(1921年)、西国分村立(現在の霧島市立)宮内小学校で教職に就いていた石黒ひで先生が学芸会での劇中歌として、作詞、作曲したものである。宮内小学校の正門には、その碑が建っている。

「茶わん虫の歌」はリズムが軽快だ。そして鹿児島弁の歌詞がとにかく面白い。

霧島市立宮内小学校のホームページでも聴くことが出来る。但し、少し音質が悪いので、幾つも紹介されているユーチューブの方が良いかもしれない。楽しくなると思うので、聞いて欲しい。

歌は「うんだもこら いけなもんな」で始まる。多分、この最初から意味が分かりにくいだろう。標準語で言えば「あらっ? それはどういう物だろうか」というようなことになる。

確かに「茶わん虫の歌」は知られるようになった。しかし、歌詞にあるような鹿児島弁はどうだろうか。年々廃れてきているのではなかろうか。そう思うと寂しい気がする。

ところで、「茶わん虫の歌」の鹿児島弁は、以前の一般生活の中で使われていた鹿児島弁だ。ところが、鹿児島弁にはもっと丁寧な形がある。こちらの方が本来の鹿児島弁だと思う。

鹿児島に「湯豆腐の権兵衛」という居酒屋がある。

私は、半世紀くらい前、ここによく通っていたが、当時のおかみさんが使っていたのが、丁寧な鹿児島弁だった。

店に入ると「ゆくせかおさいじゃした(ようこそおいでくださいました)」と迎える。「おかべをたもいやしか(豆腐を食べますか)」と注文を聞く。「きゅもはだもっのよかひごわしたなあ(今日も気持ちの良い日でしたね)」などと会話がはずむ。「あいがともさげもした(有難うございました)」と言われながら店を出る。和やかな酔い心地で帰るものだった。

京言葉が上品だと言われるが、私はこの丁寧な鹿児島弁が京言葉に優る上品でやさしい言葉だと思っている。

しかし、丁寧な鹿児島弁にしても一般生活の中で使われていた鹿児島弁にしても、使う人がほとんどいなくなった。「こんちゃらごわした(こんにちは)」と挨拶しても、50歳以下の人たちはキョトンとするばかりだろう。カタカナ造語が氾濫する中、仕方ないかとも思う。

だが、希望がないわけではない。方言回帰の動きもある。地元のMBCラジオなどでは、方言の番組がある。鹿児島弁の五・七・五で表現する薩摩狂句の会も各地で盛んだ。鹿児島検定も実施されている。

あちこちで、鹿児島弁を大事にしたいと思う人も増えてきているようだ。

こういう取り組みの広がりで、やがてまた鹿児島に生まれた鹿児島の言葉、鹿児島弁を巷で誰もが使うようになって欲しい。