「石體の神のやしろに小石つむ この縁さえ愛しかりけれ」
霧島市隼人町の宮の杜ふれあい公園に、昭和15年発行の斎藤茂吉の歌文集「高千穂峰」に掲載されているこの歌の歌碑がある。
石體(しゃくたい)の神のやしろとは、鹿児島神宮の摂社の石體神社のこと。昭和14年10月6日に斎藤茂吉は、鹿児島神宮、石體神社を訪れている。
石體神社は安産の神様として有名で、戌の日に安産祈願祭が行われる。
妊婦は、神職のお祓いを受けた後、境内に積まれた御石を1個持ち帰る。そして、無事に主産したら、川原のきれいな小石2個をお返しするのが習わしとなっている。
「小石つむ」とは、この持ち帰り、お返しする御石のことである。
石體神社の御祭神は、彦火火出見尊と豊玉比売命である。
記紀に「豊玉比売命が産気づいたので、尊は鵜の羽根で産屋を作っていたが、屋根を葺き終わらないうちに御子を産んだ」ことが記されている。御子は鵜葺草葺不合尊、神武天皇の父君である。豊玉比売のお産が鵜の羽根の産屋を葺き終わらないうちに産まれるほど安産であったということで、彦火火出見尊と豊玉比売命を祀る石體神社は安産成就のお宮として厚く信仰されている。
一方、鹿児島神宮の神職を務めていた桑幡公幸氏が明治36年(1903年)に著した「國分の古蹟」には「石體神社の祭神は昔より神功皇后と伝えられており、神功皇后が三韓を征伐した時、胎中の皇子が生まれようとしたので、石を腰に挟んだら産気が治まり、凱旋の後安産したという古事に基づいて、産婦はこの神社の石を腰に挟めば平産すると世の人が崇敬してきた」と記されている。
このように、石體神社が安産のお宮と信仰されている由来には二つがあるようである。
ただ、現在の石體神社の御祭神は彦火火出見尊と豊玉比売命である。
少しごちゃごちゃしてしまうが、もう一つ、石體神社は石體(いわた)帯の神社とも謂われている。
妊婦が妊娠5ケ月の戌の日に巻く腹帯が岩田帯であるが、石體神社の石體帯は、神功皇后が腰につけて出産を押さえた時に巻いた帯が由来となっているのではないかと思うのだが・・。