鹿児島神宮ー宮内の古代以前

鹿児島神宮の西側参道方向への駐車場出口付近土手に宮坂貝塚と言う貝塚がある。

上野原縄文の森資料によると、縄文時代早期末(約7400年前)のもので、鹿児島県では最古級ということである。

貝塚の上層が、約7300年前に噴火したと言われる鬼界カルデラ火砕流であるアカホヤであることが年代推計の理由と思われる。

ところで、錦江湾奥海岸から約5kmもある鹿児島神宮に何故貝塚があるのだろうか。当時は縄文海進で、海面が今より6mくらい高く、鹿児島神宮のすぐ近くまで海岸線が迫っており、貝の採取も容易だったと思われる。

貝塚には、貝だけでなく鹿の骨、石鏃、土器なども見つかっており、ここに住んでいた当時の人々が海の幸、山の幸を得ながら生活をしていたことが伺える。

また、鹿児島神宮の裏手の山からは、弥生時代のものと思われる土器も出土しており、鹿児島神宮周辺の宮内には、縄文時代にも弥生時代にも人が住んでいたことが分かる。

それでは、それ以前の旧石器時代はどうだろうか。

鹿児島湾奥は、姶良カルデラと言う巨大なカルデラだが、ここで約29000年前に大噴火があった。この姶良大噴火による火山噴出物の量は、大正3年桜島の大噴火の200倍もあったそうで、このため南九州一帯は、数十mから場所によっては200mもの噴出物(シラス)に埋もれており、もし、旧石器時代に人が住んでいたとしても痕跡を探し当てることはほぼ不可能である。従って、旧石器時代に宮内に人が住んでいたかどうかは分からないということになる。

余談だが、私は屋久島大好き人間である。

屋久島には縄文杉がある。

この縄文杉だが、以前の鹿児島県の観光パンフレットには「樹齢7000年」と宣伝されていた。私もそう思っていた。

ところが、土木に詳しいある人が、道路を開いたところや海岸側の断崖で、火砕流の層を示しながら「7000年はあり得ない」と説明してくれた。

「5600年前の鬼界カルデラの大噴火による幸野火砕流屋久島の動植物は全て焼き尽くされた。だから「縄文杉の7000年はあり得ない」と言うのである。

当時は、鬼界カルデラの噴火は、約5600年前とされていた。

しかし、年代測定法の進化により、現在では7300年前とされており、縄文杉の7000年を否定した、かの人の説は崩れたということになる。

ちなみに、林野庁が推定樹齢2170年~7200年としているように、縄文杉の樹齢には色々な説があるようだが、7000年のロマンが残されているのは幸いであると思う。