浜下り千三百年祭

昨年の鹿児島神宮の浜下りは、隼人の乱からの千三百年記念祭として催行された。

記念祭のテーマは、隼人の乱に関係する大分県宇佐神宮、鹿児島県曽於市大隅町の岩川八幡神社、宮崎県都城市山之口町の的野正八幡宮、宮崎県日南市飫肥の田ノ上八幡神社の祭りとの交流だった。

それでは何故この四つの祭りが隼人の乱と関係するのか。

都城市に「弥五郎どんの館」という的野正八幡宮で催行されている山之口弥五郎どん祭りのことなどを紹介する施設がある。

この施設では、隼人の乱や弥五郎どん祭り、浜殿下りのことなどが分かりやすく展示説明されているが、そのうち「弥五郎どん祭りの由来」の説明の一部を引用させていただく。

「隼人の乱から4年後、宇佐八幡の託宣により、隼人の霊を慰めるため放生会が行われるようになった。放生会では、隼人族の首領・弥五郎の大きな人形を作った。300年後に創建された岩川八幡でもその故事にならって立派な人形を作ることになった。それより100年遅れて創建された田ノ上八幡でも、さらに大きな人形を作って放生会を行い弥五郎の霊を慰めた。隼人の霊を慰めるために始まった放生会は、やがて豊年祭の行事となり、南九州ではホゼと呼ばれて生活の中に浸透していった。それが次第に弥五郎どん祭りとして定着した」

人形の名前は、岩川八幡神社が「弥五郎どん」、的野正八幡宮が「山之口の弥五郎どん」、田ノ上八幡神社が「弥五郎様」で、的野正八幡宮が長男、岩川八幡神社が二男、田ノ上八幡神社が三男とされている。

昨年の鹿児島神宮浜下り千三百年記念祭では、事前にシンポジウムが実際されたが、その会場には三兄弟の面が展示された。このように三兄弟の面が揃うのは中々ないことである。

そして、浜下り行列には的野正八幡宮に「山之口の弥五郎どん」が参加、御神幸地で岩川八幡神社の「弥五郎どん」とともに展示された。

左が山之口の弥五郎どん、右が弥五郎どん