鹿児島神宮ー御神幸地

鹿児島神宮から約5kmの鹿児島湾奥、隼人港の近くに鹿児島神宮の御神幸地がある。

現在は住宅地の中だが、嘗てはここらが海岸線だった。

海幸・山幸物語では、兄の海幸彦から借りた釣り針を失くしてしまった山幸彦が、綿積神の宮に行き、海神の助けで釣り針を探し出し、めでたく生還するのだが、その場所が隼人の浜即ちここ神幸地と伝えられている。

鹿児島神宮浜下りは、この神話に倣い鹿児島神宮の御祭神の彦火火出見尊(山幸彦)が年1回、めでたく生還されたとされるここ隼人の浜にお出かけになる御神輿行列の祭りである。

この浜下りは、毎年10月第三日曜日に催行される古式豊かな祭りで、千三百年若しくはそれ以上の歴史を持つと伝えられている。

ところで、海幸・山幸物語には、山幸彦と海神の娘、豊玉媛との次のような愛情物語がある。

綿積の宮に釣り針を探しに行った山幸彦は、海神の娘、豊玉媛と結ばれる。

綿積の宮で3年を過ごした後、釣り針を探し出した山幸彦は、身重の媛を残して、隼人の浜にめでたく生還する。そして、潮満珠、潮乾珠で海幸彦を懲らしめて後、彦火火出見尊として即位し、高千穂宮で種々のことを掌っていると、暫くして豊玉媛がお産のために綿積の宮から出てきたので、急いで海岸傍に鵜の羽根で屋根を葺いた産屋を建てようとする。ところが、まだ屋根が葺きあがらないうちに、媛は産気づいて産屋に入ってしまった。

産屋に入る時に媛は、「私がお産をするところを決して見ないように」言い渡すのだが、尊は却って訝しく思いのぞいてしまう。するとそこには、お産で苦悶しているワニの姿があった。

姿を見られた媛は産後「恥ずかしい。もうお目にはかかれない」と綿積の宮に帰ってしまった。

しかし、お互いに対する愛情、敬愛は変わりなく、尊は媛のことを想い

沖津島 鴨就く島に我が寝ねし妹は忘れじ世のことごとに

と歌い、媛は

赤玉は緒さえ光れど白玉の君がよそひし尊とくありけり

歌った。

鹿児島神宮浜下りの御幸地の隼人の浜は、彦火火出見尊にとって豊玉媛との相思相愛、思い出の場所でもある。

なお、この時の御子が鵜戸神宮の御祭神、鵜葺草葺不合尊である。

鵜戸神宮には、尊がお腹をすかさないようにと豊玉媛が自分の乳房を切り取ったとされるお乳岩あるが、綿積の宮に帰った豊玉媛は尊のことを心配し、お世話をさせるため妹の玉依姫を遣わす。

やがて、鵜葺草葺不合尊と玉依姫は結ばれる。そして、御二神の間に御生れになったのが、神倭伊波礼毘古命神武天皇)である。