2023-08-01から1ヶ月間の記事一覧

里芋の花

私の畑は標高50m~60mのところにある。後は山、前は川、そのため、これまでは自宅付近より気温が2~3度低く、夏も作業しやすかった。 ところが、今年は自宅も畑も変わらない。 そのためか、夏場の作物として作りやすい里芋にも異常が出た。花が咲い…

鹿児島神宮拝殿コンサート

東北地方の大曲で盛大な花火大会があった昨夜、南の鹿児島神宮では、厳かに霧島フィルハーモニーカルテットによる拝殿コンサートが催された。 霧島フィルハーモニーカルテットの拝殿での演奏 鹿児島神宮は、こんもりとした木々に囲まれている。昨日も残暑が…

隼人の乱と熊襲征伐 その4ー七つの城

八満宇佐宮御託宣集によると、隼人の乱の時隼人は、奴久良、幸原、神野、牛屎、志加牟、曽於乃岩城、比売乃城の七つの城に立て籠ったとされている。 隼人が1年数ヶ月立て籠ったとされる比売乃城跡 一方、國分の古蹟などには、熊襲梟帥の種族の居城として隈(…

隼人の乱と熊襲征伐 その3-おびき出し

このブログの「隼人の乱と熊襲征伐 その1ー隼人塚の建立目的」で、「熊襲の頭目の川上梟帥が橋の上でおもしろおかしく拍子をとり、踊りを踊ったという話が伝わっており、拍子橋と言うようになった。この付近で川上梟帥が日本武尊に突き殺されたという伝説も…

小さな、小さな六月灯

霧島市隼人町内山田の宮内原用水の小田への分水路起点の土手に、梵字の掘られた高さ1mくらいの「野崎の水神」と呼ばれる石柱がある。 旧隼人町教育委員会発行の「隼人町の石造文化財」によると、一番上の梵字は水の神様である水天を表しており、その下の梵…

隼人の乱と熊襲征伐 その2ー四肢神社

霧島市国分野口に枝宮神社がある。 神社の由緒書きには「当社は、三国名勝図会、薩隅日地理纂考により大人彌五郎別名川上梟帥の四肢が葬られると伝えられる」と記されている。 ちなみに、天保14年(1843年)にまとめられた薩摩藩の地誌である三国名勝図会に…